徒然に思うこと~「断捨離=感謝離」

 2年前の2022年アルツハイマー月間に覚源寺の谷崎住職に講演していただいた際、1枚の新聞記事が渡された。それは高齢御夫婦で妻に先立たれた夫が、残された妻の洋服等を見て「今度あの世で会ったら改めて妻のパジャマを買おう。だから今あるものは「断捨離」でなく感謝を込めて「感謝離」する。といった内容。

 私も70歳を前にして父・夫・自分の物など沢山整理しないといけない。今年の5月の連休に物置の箱を開けると、その中には父・夫の新品も混じった作業服。「そうだ・そうだ捨てがたくこの服で一生懸命働いてくれた。捨てれない」と大事にしまったもの。しかし、今見ると「もういいかな?ありがとう」と思え、二人に感謝の意を込め処分した。二人のパジャマは息子が黙ってきている。ヨレヨレになったもの、毛玉ができたもの、ゴムが延びたもの、擦り切れたもの。これもありがとうと感謝離。

 しかし自分のものはなかなか捨てがたい。「これはあの時夫と一緒に買い物したもの」なんて想い出すと又しまってしまう。妹が「他人だったらそんな思いがないから簡単に捨てるよ。無理はしなくてよいのでは?」と言ってはくれるが・・捨てる身になると大変だ。これまで引っ越しも数回したのでよくわかる。

 私の健康寿命はあと10年。(自分が勝手に決めているだけの目標値)その間にチマチマ捨てるから。だって品物も壊れてくるしね。この前も「夫と二人でモーニングコーヒ用カップだ」とお気に入りが1個欠けた。1個の時は捨てがたかったが2個目も欠けたとき、「7年間使えた。ありがとう。」と何度もカップに頭を下げ処分した。

 人は生きている。その間に「もういいかな?」と思える時が来る。これが私流の「感謝離」。10年間元気なうちに少しづつ。そう、元気なうちにしないとね。

                          令和6年7月18日 芳枝